なぜ人は自殺するのか?自殺する死に場所を探すより生きる場所を。

自殺

自殺とは、みずからの意思でみずからの生命を絶つ行為。ユダヤ教、キリスト教、イスラームなどのアブラハムの宗教は、自殺は宗教的に 禁止されています。欧米やイスラーム諸国では自殺は犯罪と考えられ、自殺者には葬式が 行われないなどの社会的な制約を課せられていました。

日本では、毎日90人もの人たちが自殺をしています。
そして、自殺に至らなかった未遂者は自殺者の10倍いると言われています。
自殺者・自殺未遂者を合わせると毎日1000人もの人が自殺を図っていることになります。

自殺に共通して見られる感情
1986年にアメリカで発行された文献『自殺の精神分析―臨床的判断の精神力動的定式化』の著者であるJ・T・マルツバーガーは自殺の危険がどれほど高いかを理解するには、絶望感の心理を理解しなければならないと述べています。

また臨床的研究によれば、鬱病(うつびょう)よりも絶望感のほうが、自殺や重篤な自殺企図に関連していることを指摘しています。

アメリカでの文献の為、文化の異なる日本人が、そのまま全てあてはまるとは限りませんが、それでも同じ人間として重なる部分はあると思います。

自殺者が自殺に到るには、色々な要素が重なりあっているますが、その中で、自殺における感情面の重要さを強調しています。自殺に踏み切らせる重要な感情として「望みも救いもないという思い」があり、これは、自分には自殺以外に何も方法がないという、深い絶望感と無力感をあらわしていると指摘しています。

その1 絶望感

絶望感
絶望感は逃避が不可避な状況で、痛めつけられたときに生じる心理現象。絶望の体験には2つの要素がある。第一は、自殺の危険のある人は絶え難い感情状態にあって、強烈で容赦のない精神的な苦痛に圧倒され、もはやそれに絶えることが出来なくなってしまっていると感じている。第二に自殺の危険のある人は自分の状態を認識して自分自身に対してすかっり諦めきってしまう。これは自分自身に対してこれ以上関心を払う価値などないと見捨ててしまうことである。
自殺をはらんだ絶望感というのは、繰り返す喪失体験、鬱病の再発、再三の失敗、度重なる病気などに由来している。

その2 無価値観

無価値観
次に耐えがてい感情は無価値観である。自分にまったく価値がないという体験と、孤立感の体験とは関連し、その両者を完全に分けることは出来ない。無価値感に圧倒されると、人は他の人々からもはや再び自分を大事にしてもらうことができないと確信してしまう。つまり、孤立感は子供の頃に経験した空虚な時間を繰り返しているともいえる、そこでは緊急の必要性に応え恐怖に満ちた緊張感から救ってくれるような共感に満ちた慰めがまったく手に入らなかったということを意味している。すなわち、愛されないということは、人にとって絶望的なまでに孤独なことなのである。

その3 激しい怒り

激しい怒り
殺害にいたるほどの激しい怒りも、自殺の危険と関係がある。深刻な絶望の状態は原始的な攻撃か逃避かの反応を引き起こす。
自殺の危険の高い患者は分離という発達段階の課題を達成できていないため、成人になっても喪失の恐れが迫ってくると殺害に至るほどの敵意に満ちた退行した発作を克服できないでいる。最終的にその怒りが自分に向けられた場合自殺にいたる。

わたしは今までに一度も失敗をしたことがない。電球が光らないという発見を、今まで二万回したのだ
トーマス・エジソン

失敗したところでやめるから失敗になる。成功するまで続けたら、それは成功になる
松下幸之助

私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎない。99%は失敗の連続であった。そして、その実を結んだ1%の成功が現在の私である
本田宗一郎

私の人生は楽しくなかった。だから私は自分の人生を創造したの
ココ・シャネル

God doesn’t require us to succeed; he only requires that you try.

神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。
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